はじめに
はじめに
本書は、SNS動画の永遠の正解を書いた本ではありません。
これは、2026年5月10日の観測記録である
本書は、SNS動画の永遠の正解を書いた本ではありません。
2026年5月10日時点で、AI時代の初期に、小さなお店とSNS動画のあいだで何が起きているのかを、ひとりの実践者が現場から記録したものです。
半年後には、Instagramの仕様も、TikTokのアルゴリズムも、YouTube Shortsの見られ方も、AIによる動画生成の水準も、まったく違うものになっているかもしれません。
検索も、地図も、口コミも、AIによる推薦も、これから急速に変わっていくでしょう。
だからこそ、私はこの時点の空気感を言語化しておきたいと思いました。
今、現場で何が起きているのか。
小さなお店は、何に戸惑っているのか。
SNS動画は、本当にお店の役に立つのか。
AI時代に、人間らしさや地域性や空気感は、むしろ価値になるのか。
この本は、その問いへの現時点での観測記録です。
本書が扱わないこと
ここで、最初に明確にしておきたいことがあります。
本書は、お店の味や技術そのものを評価する本ではありません。
私はこれまで、『世界観マーケティングと顧客体験の方程式』や『SEOの終わり、GEOの始まり』、その他のレポートや書籍の中で、できるだけ触れないようにしてきた領域があります。
それは、お店自身が長年磨いてきた技術へのこだわりです。
飲食店であれば、味、仕込み、素材、調理法、修行の積み重ねがあります。
美容室であれば、カット、カラー、パーマ、接客、似合わせの技術があります。
接骨院や整体であれば、身体への向き合い方、施術経験、手技の蓄積があります。
歯科医院であれば、医療技術、衛生管理、説明責任、診療方針があります。
観光スポットや地域の場所にも、それぞれの歴史、維持管理、受け継がれてきた価値があります。
それらは、現場の方々が日々全力で磨いている本業の部分です。
私は、そこに対して外側から絶対的な価値判断をする立場ではありません。
もちろん、私にも一人の客として、味の好みやサービスへの印象はあります。
居心地がよい、また来たい、少し合わなかった、という感覚もあります。
しかし、それはあくまで一人の客としての感覚であり、その店の技術や味やサービスを断定的に評価するものではありません。
衛生面についても同じです。
クレンリネスやHACCPのように、別の明確な基準や制度で評価されるべき領域について、私が外側から不用意に語るつもりはありません。
たとえば、立ち食いそばのお店を考えてみます。
高級な二千円の蕎麦店と同じ素材や製法で比べれば、まったく別の評価になるでしょう。
茹で麺であることもある。
だしも価格に合わせた設計になる。
しかし、お客様はそれだけを求めて来ているわけではありません。
早いこと。
安いこと。
いつもの味であること。
駅前でさっと食べられること。
仕事前の習慣になっていること。
その店の空気や距離感が、自分に合っていること。
そうした総体験として、そのお店を選んでいます。
味とは、絶対的な点数だけで決まるものではありません。
その店に合ったお客様が、その店の味を好きであり、繰り返し来ているなら、そこにはすでに一つの関係があります。
それを外側から単純に評価することは、私の仕事ではありません。
私がこの本でやりたいことは、その本業の価値判断ではありません。
味をこうすべきだ、技術をこう変えるべきだ、サービスをこう直すべきだ、と言うことではありません。
むしろ、そのお店がすでに持っている味、技術、こだわり、所作、空気、地域性を、これからの時代にどう伝えていくか。
そこを考えたいのです。
これからの時代に選ばれるお店になるために、味や技術そのものの外側にある、伝わり方、保存され方、思い出され方、来店前の不安の消し方を整理したい。
本書が扱うのは、その部分です。
お店の本業への敬意を前提に、その価値が必要な人に届くためのSNS動画の考え方を書く。
この立場だけは、最初に明確にしておきたいと思います。
本当は、この本を最初に書けばよかった
本当は、この本を最初に書けばよかったのかもしれません。
小さなお店がSNS動画をどう使えばいいのか。
Instagram、YouTube、TikTokをどう使い分ければいいのか。
バズを狙わず、ファンを育てるには何を撮ればいいのか。
そのような実用書として、最初からまとめることもできたはずです。
けれども私は、なぜかそこへまっすぐ向かいませんでした。
まず、なすぱらTVという現場を作りました。
動画を撮り、投稿し、反応を見ました。
25日間、44日間、60日間とレポートを書きました。
感性波動論、二流立地構造、Save → Plan → Impulse といった概念を整理しました。
HCIの国際学会に論文を出すところまで行きました。
AI関連を含め、書籍も気づけば10冊ほど書いていました。
動画も、あらゆるパターンを試したくて900本以上作りました。
なぜ、そこまで遠回りしたのか。
今振り返ると、おそらく私は、自分が現場で見ていないものを、理論として語りたくなかったのだと思います。
誰かの言葉を借りて、もっともらしいSNS論を書くことが、どこか潔くないと感じていたのかもしれません。
AI時代には、もっともらしい文章はいくらでも作れます。
SNS動画のノウハウも、AIに聞けばすぐに出てきます。
だからこそ、その人が本当に見たもの、その人が本当に試したこと、その人が現場で感じた違和感が、これからますます重要になるのではないか。
本書は、そのような考えから生まれた本です。
現場を通過していない言葉を、私は信用できなかった。
AI時代だからこそ、現場を通過した言葉を書き残したかった。
バズを追う時代から、共鳴を育てる時代へ
SNS動画というと、多くの人が最初に考えるのは再生数です。
何万回見られたのか。
どれだけバズったのか。
フォロワーは何人増えたのか。
たしかに、それらの数字はわかりやすい。
けれども、小さなお店にとって本当に大事なのは、100万回再生されることなのでしょうか。
それとも、来月また来てくれるお客さんが一人増えることでしょうか。
地方のお店、住宅街のカフェ、夫婦で営むレストラン、店主の顔が見える整体院、美容室、歯科医院、学習塾。
そうした小さな場所にとって、SNS動画の役割は、大量認知を取ることだけではありません。
むしろ、本来つながるべき人に、店の空気を届けることです。
この店は、どんな人がやっているのか。
どんな時間が流れているのか。
どんな光が入るのか。
どんな音がするのか。
どんな気持ちで仕込みをしているのか。
そのような言葉になりにくい情報が、短い動画には入ります。
AI時代のSNS動画は、バズのためだけに使うものではありません。
小さなお店が、自分たちの感性や日常や世界観を、まだ出会っていない誰かに届けるための、小さな窓です。